スウッシュ NIKE[裏社史]

発行日

1998/02/01

著者

J.B.シュトラッサー ローリー・ベックランド

訳者

白土孝

定価(税別)

2,500円

出版社

祥伝社

ISBNコード

9784396650162

スウッシュ

スウッシュ NIKE[裏社史] 目次

著者のまえがき

プロローグ

PART-1 タイガー時代 1964年-1971年

1章 バック

日本で安い労働力で陸上シューズを生産すれば高品質で低価格の商品ができる!

2章 ボアマン

ナイトはボアマンの陸上チームに日本製シューズを持参した。そのシューズの名前は「タイガー」

3章 パートナーシップ

ナイトの最終目標はアディダスを米国から撃退し、自らが「ナンバー・ワン」になることであった

4章 シューズ戦争

'56年、アディダスは初めて五輪開催地の名称を冠したモデルを発表。ビジネス戦略をも変えた

5章 ジョンソン

「ブルー・リボン・スポーツがオフィスを一つも持っていないなんて、オニツカに気付かれるな」

6章 コルテッツ

「コルテッツ」の名前の由来は、アステカ文明を破壊したスペイン人の名前だった

7章 ウッデル

「人間にとって本当に大事なことは、外見じゃなく中身なんだ!」

8章 スパイ

「日本流のビジネスをアメリカ人が理解するのは難しい。我々の理論は日本人には通用しにくい」

9章 別の穴に飛び込め

プロの歩合セールスマンを募集し、卸売りで大量販売を目指す、これがBRS成長の起点となる

10章 ヘイズ

BRSの成長を維持するために必要な自己資本比率を上げる。この解決策が社債の発行だった

PART-2 移行期 1972年-1976年

11章 秘密のブランド

'71年、ナイキ・ブランドの第1号シューズ発売。それはフットボール及びサッカー用であった

12章 オリンピック選考会と苦難

プリフォンテンがレースで履いていたのはなんとアディダスのスパイク・シューズだった......

13章 替玉逆転作戦と拡大チーム

ナイキ・ブランドが初めて会計年度を終えた'72年、BRSは売上を60%伸ばした。しかし―

14章 シュトラッサー

'73年3月、BRSに対する契約不履行とコルテッツ等の商標権侵害を理由に、「オニツカ訴訟」へ

15章 秘密工場と純正コルテッツ

日本製シューズを輸入販売していたBRSに対し、米国内での経済的圧力が集中し始めた

16章 クリック

フットロッカーと「フューチャーズ」の取引を開始。これがBRSの信用度をアップさせた

17章 メーデー、メーデー

'75年5月、ナイトにショッキングなニュースが伝わる。それはプリの突然の事故死であった......

18章 独立宣言

NBAのトッププレーヤー10名に、ナイキを履かせる「ゲリラ攻撃」を開始!

19章 人の言葉は信じるもの

ナイキが登場する初めてのオリンピック、モントリオールで、BRSはある契約選手に裏切られた

20章 基盤

近代的な大規模工場の必要性が緊急課題となった'76年。ナイトの指令は「韓国へ飛べ!」

PART-3 私企業時代 1977年-1980年

21章 足コミ

ランニング・シューズ分野で急速に力をつけたナイキは、米国ではアディダスの地位に急迫する

22章 ラウンドボール

「スポーツ・イラストレイテッド」誌の表紙にナイキを履いたラリー・バードが登場した!

23章 カーブボール

「超人ハルク」の主人公は、アッパーが緑の別注ナイキ・シューズを履いていた

24章 アニマル・ハウス

'78年、アディダスの売り上げは10億ドル。これはプーマの4倍で、ナイキはさらにその次であった

25章 テイルウィンド

エア・パックの開発は予想以上の困難な道程だった。「テイルウィンド」も多くの難題をかかえた

26章 アディダスを駆逐する

'80年、ナイキは米国におけるアスレチック・シューズ企業のナンバー・ワンに輝いた

27章 中国

ナイトが中国に注目した理由は、潜在的な購買力―「中国には20億本もの足がある」

28章 株式公開

株式公開で儲けたナイトの企みは、NBAチーム「クリッパーズ」の買収だった!?

PART-4 上場企業時代 1981年-1990年

29章 フォーチュン500社のサタデー・ナイト・ライブ

初の国際セールス会議で、ナイトはこう語った「2001年、ナイキは500億ドルの企業になる」

30章 ヨーロッパ

ナイキの商標に関するフランスでの権利が競売へ。もしアディダスがこの権利を買ってしまえば......!!

31章 さようなら、ブルー・リボン・スポーツ

「Just do it」の号令のもと、新たなマネージャーが過剰なまでに採用されたが......

32章 最初に壁を越えた人

'82年、ナイキ史上初めて、四半期の業績が前年に対して事実上横ばいという事態が生じた

33章 溺死

経費削減が始まった。工場の閉鎖、社員の解雇―それでも四半期での初の売上げ低下が報告された

34章 新しい敵

ナイキ最大のライバル、リーボックが出現!1年で売上げを350万から1280万ドルへと拡大

35章 ウイ・ラブ・LA

ロス五輪の公式スポンサーでないナイキが全米で展開した広告は、実に巧妙だった

36章 エアが人になる

「ぼくはナイキを履いたことがない」―ジョーダンが契約したかったブランドは意外にも......

37章 白馬の騎士

リーボックに対抗できる商品を開発していなかったナイキの株価は、'84年11月、市場最安値に

38章 この岩の上に教会を建てよう

1984年10月、「エアジョーダン」がNBAに衝撃デビュー!

39章 8月の砲声作戦

AJの普及版として「カレッジ・カラーズ」展開。ナイキはマルチスポーツ・カンパニーへと変貌

40章 ナンバー・ツー

AJの売上で、財務状況に明るさが......。しかし一方、ナイキの身売り話が浮上した!

41章 ナイキ・エア

'85年、「ビジブル・エア・プロジェクト」始動。その結果、エアマックスが開発されることになる

42章 ボー・フー・ニュー

クロス・トレーニングのプロモーションで、ある選手を追った。その名はボー・ジャクソン

43章 ブラック・フライデー

ナイキを築いてきた男たちが一人また一人と消えていく。'86年、史上最大のレイオフが断行された

44章 レボリューション

ビートルズの「レボリューション」のCFのもとエアマックスがブレイク。ナイキ、復活へ!

45章 最後の藁

フィル・ナイトは世界で初めてスポーツ・コングロマリットを築こうとしている

エピローグ

あとがき

インデックス

アディダス関連の本
ナイキ関連の本
プーマ関連の本
アシックス関連の本
スポーツシューズ・スニーカー関連の本
サッカー関連の本
テニス関連の本
バスケット関連の本
スポーツノート
スポーツシティ
スポーツ関連の本
カルチャー・ライフスタイル誌